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 Carl Zeiss Biotar 5cm f1.4
 

Lens Data

Lens Unit

Lens Photo

最短撮影距離:ヘリコイドなし
マウント:ライカL39に改修
構成:4群6枚
製造年代:Carl Zeiss 1941年

Lens Impression
 
「35mm判オールドレンズの最高峰 50mmf1.5」から抜粋

ビオターはルドルフ博士が1895年に発明し、現代でもなお標準レンズの代名詞となっている「プラナーレンズ」の正当な後継レンズのはずであった。しかし、プラナーにはならなかった。
 ビオターの名称はすでに1910年にMoritz von Rohrが18×24 mmのフォーマットのムービー映写用レンズ(ペッツバール型)の名称としてカール・ツァイス社内で検討されていたものであるが、この8.5p f1.8というスペックの大型レンズは実際使用するにあたって非常にハンドリングに難があるという理由で採用されず、この名称も一旦は消滅した。その名が17年の後に復活したわけである。当初の開発目的はシネレンズであり、ツァイスの出荷台帳を見てもビオターの最初のロット250本はフランスのDebrie 35mm cine camera用に製造されたと記載されている。
 すでにビオター開発の5年前に大先輩のルドルフ博士によってキノ・プラズマートがf1.5の明るさで開発されているとはいえ、それ以外のメーカーからは、同レベルのレンズはまだ出現していなかった。設計者Willy Merte(メルテ)は1911年にルドルフ博士がカール・ツァイス社を退社した2年後の1913年に入社した新人技術者であり、この新ビオター設計当時まだ弱冠28歳であった。

ビオターは4群6枚構成のオーソドックスなダブルガウス型であり、ほぼ同時期に設計されたf2のシュナイダー 社クセノンと同様、1920年にテイラー・ホブソン社のH.W.Lee(H.W.リー)が発明した前群、後群の対称性を崩して設計された「変形ダブルガウス型」の元祖Opic(オピック)レンズの影響を強く受けたレンズである。
 それはすなわち1888年のAlvan clarkによる「ダブルガウス型」の発明以来、ルドルフ博士のプラナー、そしてオピックと受け継がれてきた「対称型大口径レンズ」の正統な系譜に他ならない。
 ビオターが同じ4群6枚の変形ガウス型のリーのオピックと異なる点は、すべてのガラスをオピックより屈折率の高いものとしつつ、合わせて、第3群の貼り合わせ面の曲率を非常に高くし、一方最終面の曲率を抑えた構造としているところで、これにより、より大きな開口を得つつ、収差の拡大を抑えたものと考えられる。
 しかし、ビオターのレンズ構成図を見てもわかるように、この試みはリスクも大きい。凸レンズの曲率をきつくするほど周辺の収差に悪影響を及ぼすうえに、本来絞り前後の対称性によって、像面の平坦性、歪曲収差、コマ収差、倍率色収差などを自動補正させていくことがダブルガウス型の基本的機能であるが、個別の収差補正のために対称性を崩していけばいくほど、そうしたダブルガウス型の根源的メリットを失っていく可能性が生じてくるからである。


作例を見てもわかるように、このビオターの周辺の描写はかなりの曲者です。ダブルガウス型といえば一般的には輪帯部のコマ収差が目立ち、それによる絞り開放時のハロ・フレア、後ボケの変形、そして球面収差を抑えるための過剰補正に伴う2線ボケなどが描写の特徴となりますが、このビオターでは周辺にかなりの像の流れが現れています。いわゆる「ぐるぐるボケ・放射ボケ」ともちょっと異なる乱れ打ちのようなイメージを受けました。
ぐるぐるボケを含むこのような周辺の流れを発生させる大きな要因である非点収差はサジタル・メリディオナル像面の乖離で発生しますが、4群6枚という少ないガラス面のレンズ構成で無理やり両面を合致させると、その合成である画面全体の像面が傾いてしまいます。理由ははっきりしませんが、ビオターは非点収差を抑えることよりも、まずは明るさを確保し、平均像面をできる限り傾けないことを選択したということになるのでしょう。
レンズ構成を見ると、各ガラス曲面の曲率はかなり高そうです。ガラスの選択に限界がある中で高い屈折率を確保して開放f値を明るくするためには、まだ時代的に環境が十分整っていなかったともいえるかもしれません。
ビオターは最初期に40mm、50mmなどで開放値f1.4が作られたが、さすがに収差の抑え込みに苦労したのか、1936年には開放値をf2に抑え一眼レフにも対応可能な58mmの焦点距離のものが開発され、その後主力となっていった。


  Photos with Biotar 5cm f1.4
 
2020
Akiya,Sajima
(秋谷、佐島)
まだ4月でしたが、海辺の日差しはもう初夏のものでした。秋谷海岸から佐島まで山を越えて散策しましたが、とても気持ちの良いものとなりました。
個々の作例を見ると、初期ビオターの描写の特徴が楽しめます。