レンズ製造番号と年代
 1897年 生産開始   
1935年 700,000
 1904年 10,000        1942年 1,000,000
 1909年 50,000    
1950年 1,200,000
 1916年 100,000       1955年  1,600,000
 1931年 500,000   
1960年 3,000,000 

Hugo Meyer社

 1863年  Hugo Meyer誕生

 1896年  Hugo MeyerとHeinrich Schaetzeは共同で独ゲルリッツ(Goerlitz)の光学機器メーカーを設立。


Hugo Meyer(1863-1905)


     「Aplanats」「Aristoscop」レンズを生産開始。

 1900年  ダブルガウス変形型の「
Aristostigmat」の特許取得、生産開始。

 1905年  Hugo Meyer死去。妻Eliseと子供たちが会社を継承。

 1911年   Euryplanレンズを生産していた「Schultz and Biller-beck」社を買収

 1916年  トリプレットタイプの「
Trioplan」生産開始。

 1919年  Dr.Paul Rudolphが入社。このとき61歳。同年から1921年にかけて「
Plasmat」レンズの特許を取得。
      Schultz and Biller-beck社のEuryplanを改良したもので、Dagor lensの張り合わせセメント部分を空気レンズ化。
      コーティング技術が未熟なため内面反射が多い。

 1919年 「
Doppel Plasmat」(Serial Number 125,353から?)販売開始。

 1924年  Rudolphは、f2とf1.5の「
Kino-Plasmat」を設計。

 1930年までに16mm映画用に3/4inch、7/8inch、1+3/8inchのKino Plasmatが発売、
      35mmフィルム用に1+5/8inch、2inch、3inch、3+1/2inchの「Kino-Plasmat」を発売。
      (12.5mmのKinoplasmatは、後年1938年頃に8mm映画用に追加された。)

 1931年〜33年  ライカマウント専用のKino-Plasmat75mmf1.5を発売。

 1932-33年頃  「
Makro-Plasmat f2.7」(Serial Number 489,038から?)を発売。
       50mmのライカマウント(キノコ)は製造番号582233番〜583083番と言われ、製造台数が非常に少ない。
       (初期のライカA型用のものには580000番台のものも存在する。)
       105mmにはPrimaflex用とExakta6x6用のものがある。583968〜964037番
       75mmにはExakta A型用のものがある。番号は489,038〜780873番

 1933年   Paul Rudolph 退社。Stephen Roeschleinが設計責任者となる。

 1934年頃 Exakta VP(ナイトExakta)用に「
Primoplan 80mmf1.9」(6549139〜980618番、一部75mm/83mmf1.9)を製造開始。
    Primoplanf1.9は30,50,58,75,80,83,100,180mmが生産されている。

  1935年頃 
Tele-Megor開発。

 1936年   Stephen Roeschlein 退社してSchneider社へ。Paul Schaefterが設計者に。

 1939年からの第二次世界大戦中にはその期間のみと思われる85mmf2.0と100mmf2.0の「
Megon」が生産されている。
    (6枚のダブルガウスタイプ)

 第二次世界大戦後は東ドイツの共産主義国家に編入されたため、より低価格のレンズを「量産」していくこととなる。

 1968年にPENTACONに吸収される。さらにSchneider社傘下に。

その他の注目レンズ
  
Kino-Plasmat f2.0
   シネ用レンズ。レンズ構成はf1.5のKino-Plasmatと同様。7/8inch〜5inchが生産されたようであるが、実物を見る機会は少ない。
  
Makro-Plasmat f2.9
   1inch〜12inchまで多種存在する。1930年のカタログにNEWとして登場しているので、そのころに生産が開始された模様。
  
Rapid-Plasmat f1.0
   f1.0!!の超高速レンズ。生産はされなかったようだが、レンズ構成はKino-Plasmatと共通しているのか??
  
Plasmat 6.5inch f1.8
   これも未だ実物を見たことがないf1.8のPlasmat。
  
Kinon Superior 50mmf1.5,f1.6,f1.8
   1920-30年代のプロジェクションレンズのようであるが、眼にしたことがない。50mmf1.5などを撮影に使用したら、、、、?


参考文献  A lens collector's vade mecumなど多数。

  
   Dr.Paul Rudolph(1858-1935)
1886年 Zeiss社に入社
1890年 Protar設計(Anastigmatの名称を商品名として初めて使用)
1896年 Planar設計(ダブルガウス型)
1899年 Unar設計(複合ガウス型)
1902年 Tessar設計(Protar、Unarに加えTripletの要素も加えたAnastigmat)
1911年 Zeiss社 退社
1919年 Hugo Meyer社入社
1933年 Plasmat社設立 Rolandカメラを発売
1935年 死去

Dr.Rudolpfは1911年にZeiss社を退職後、退職金で悠々自適に暮らしていましたが、第一次世界大戦後の
ドイツの大インフレによって財産を失い、GoerlitzゲルリッツのHugo Meyer(フーゴ・マイヤー)社に
再就職しました。
その時年齢は61歳です。1919-21年にPlasmat(プラズマート)を設計した後、1933年に退職し、
プラズマート社を設立しました。同社ではKleinbild Plasmat 7cmf2.7(クラインビルト・プラズマート)が
装着されたRoland(ローランド)という6x4.5cm判のカメラを製造しました。