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素人レンズ教室-その22-b 

  文化祭開催です。 ジローたちの出し物は演劇 
「ビオターの憂鬱」  後編


第三話 ペッツバール型「ビオター」の映画用レンズ開発の中止 1913年

配役 *ルドルフ・シュトラウベル役員(はるか)
      エルンスト・アッベの後継者としてツァイス財団の舵取りをする。
    *ヴァンデルスレプ部長(ジロー)
      モリッツ・フォン・ローアが設計した第一世代のペッツバール型ビオターの映画カメラ用の実用化を提案しているツァイス社写真部長
    
ナレーター:
 1913年 カールツァイス財団 役員会議室。


(シュトラウベル役員) では、会議の議論をまとめさせていただくと、Moritz von Rohr君が設計・試作したペッツバール型の「ビオター85mmf1.8」を
               当社の35mm小型ムービー用大口径望遠レンズとして生産することにつきましては、「却下」ということでよろしいですね。

(ヴァンデルスレプ写真部長) もう一度だけ、担当部長として発言させていただきたい。
                    確かにペッツバール型はかなり古いレンズ構成です。しかし、一方で少ないレンズ構成でかなり明るい開放F値を実現できるレンズ構成
                    でもあります。さらに、ムービーであればペッツバール特有の周辺の像面湾曲も画面の動きによってあまり目立たないというメリットもあります。
                    それでも、開発は中止ということなのでしょうか?

(シュトラウベル役員) そんなことはわかっているよ。問題はその大きさと重さだ。小型ムービーを言っておきながら、やはりペッツバールはレンズが長く、
               扱いにくいと言わざるを得ない。我々ツァイス財団の使命は顧客に他社にはない使いやすさと性能を合わせて提供することにある。
               そうしたレンズの開発の責任は君にあるんだよ。

(ヴァンデルスレプ写真部長) わかっております。現在新しい構成のレンズの開発も進めているところではありますが、まだ具体的な目途は立っておりません。
                    今年ウィリー・メルテという優秀な新人も入りましたので、近いうちにご期待に応えるよう努力いたします。

(シュトラウベル役員) どのようなレンズが作れそうかね?

(ヴァンデルスレプ部長) 収差が良好に補正された「大口径レンズ」というのがわれわれの目標です。ご存知のように、前任のルドルフ部長が設計されたプラナーは
                 短期間で生産がストップされてしまいましたが、私は将来「対称型」の内面反射対策が進化し、またコマ収差補正が可能となれば、
                 大きな進歩が望めると考えております。

(シュトラウベル役員) 君も知っているように、いま欧州はかなり不安定な状況だ。戦争になるかもしれん。それまでに新しいレンズの開発が間に合ってくれると
               よいのだが。

(ヴァンデルスレプ写真部長) 鋭意努力します。

(シュトラウベル役員) では、それまで、この「ビオター」という名前は保留にしておこう。「BIOは生命を意味する。そして生命は明るい未来」そのものだ。
               この名前にふさわしいレンズを待っているよ。

ナレーター:
 この決定の直後、欧州は第一次世界大戦(1914-18)に突入することなり、その結果、ドイツ帝国は壊滅する。
 第二期ビオターは、1927年ウィリー・メルテによるまったく新しい変形ダブルガウス型の誕生を待たねばならない。
 その前年1926年にツァイス社写真部門は、合併したエルネマンから非対称型の寵児であるエルノスターとともにルードヴィヒ・ベルテレが移籍して来ており、
 数年後の社運をかけたレンジファインダー機「コンタックス」用レンズ開発でのベルテレの非対称型ゾナーの採用、そしてその後、一眼レフでの
 ビオターの巻き返しと、ベルテレの退社、そして第二次大戦を経て、プラナー復活へと結びついていく。



 

第四話 プラナー復活!「5枚構成でもこれはプラナーだ」開発者ハンス・サウエルを突き動かした
               ヴァンデルスレプのルドルフへの思い
 

 配役 *ハンス・サウエル(はるか)
       ヴァンデルスレプから
46枚プラナーの再実用化の指示を受けたツァイス社のレンズ設計者
     *エルンスト・ヴァンデルスレプ写真部長(ジロー)
       
1920年のダブルガウス非対称化、1935年のレンズコーティング実用化を経て、ルドルフの設計を再度やり直すことを決意する。
     *ハインツ・キュッペンベンダー(麗子先生)
       ツァイス財団役員でツァイス・イコン社社長



< ナレーター:
  さて、冒頭に登場したビオター4cmf1.4レンズ。近づいてきた3人の足音に我にかえるとあたりをきょろきょろと見回しながら、その3人の話を聞き始めた。

  時は1957年になっていた。ある日、ツァイス・イコン社社長の私邸に呼ばれた、ヴァンデルスレプとサウエル。
  間もなくヴァンデルスレプは50年以上勤めたツァイス社を退職する。そしてキュッペンベンダー率いるツァイス・イコン社は、ヴァンデルスレプの指示のもと
  サウエルによって再設計され再度脚光を浴びることとなった「プラナー」を標準装備した渾身の一眼レフ「コンタレックス」を世に送り出そうとしている



(キュッペンベンダー) エルンスト〔ヴァンデルスレプ〕、本当に長い間ご苦労だった。君の退職は本当に残念だ。
               ぜひコンタレックスの発売を見届けていってほしかった。

(ヴァンデルスレプ) 長い間に亘り写真部長の職を務めさせていただき、心から感謝しています。入社2年目で当時のルドルフ部長のもとで「テッサー」を作らせて
              いただいたことから始まり、2度も戦争を経験するなど、いくら語っても語りつくせない会社生活でした。

(キュッペンベンダー) 僕は早くからツァイス・イコン社のほうで初代コンタックスにかかりっきりだったから、ツァイス財団本体の生活は君のほうがはるかに長い。
               たくさん苦労しただろう。

(ヴァンデルスレプ) いえ。

(キュッペンベンダー) 特に、エルネマンを吸収したときに、あの一匹狼だったルードヴィヒ〔ベルテレ〕をうまく使いこなして、初代コンタックスの標準レンズとして
               ゾナーf1.5とf2.0を間に合わせることができたのは、君が写真部長でいてくれたからだと感謝している。

(ヴァンデルスレプ) ありがとうございます。ルードヴィヒは一種の天才でしたが、彼とはよく論争をしました。
              特に私はルドルフ部長の直接の教えを受けた人間でしたから、彼のエルノスターやゾナーの理論はなかなか受け入れらなかったものです。
              しかし、結果としてはライツ社や他社に先駆けて1932年に大口径標準レンズを装備することができました。
              (注:1927年にメルテがダブルガウスのビオター4cmf1.4を、1932年にトロニエがクセノン5cmf1.5を開発しているが、適切なカメラボディがなかった。
               ライツのクセノンはさらにその数年後となる。) 
              あっ、1923年のキノ・プラズマートf1.5が最初でしたね。 天国のルドルフ部長に怒鳴られてしまう、、、、。

(キュッペンベンダー) 確かに
キノ・プラズマートには驚かされたな。してやられたと思ったよ。博士がライツ社に入ってなくて幸いだった。

(ヴァンデルスレプ ) ただ、画像にはかなりの無理があったみたいですから、もし部長がツァイス社に残っておられたら、きっと皆さん上司と販売するか否かで
              大論争になったのではないかと、つい想像してしまいます。それが見られなかったのは残念至極ですね(笑)

(キュッペンベンダー) しかし、そうしたルドルフ博士の動きもあって、当社の
新たなダブルガウスレンズの名称に彼が発明したプラナーを復活させようという意見は
               かなり
しぼんでしまったようだ。
               君は名称復活を後押ししていただけに、残念だったね。

(ヴァンデルスレプ) いえ、それも運命だったのかもしれません。
結果的に「ビオター」が採用されたわけですが、もしあの時にビオターでなくプラナーにしていたら、
             今頃プラナーが東側のレンズ名称になってしまっていたかもしれませんから。

(キュッペンベンダー) それもそうだな。
                この机の上の「最初のビオター」は幸せな時代に生まれたのかもしれん。しかし、すぐにスチール写真レンズの大口径競争が始まり、
                表舞台の主役はゾナーに奪われてしまったな。そして戦後の会社分断の混乱にまぎれていつの間にか
ビオターは東側のブランド
                いうことになってしまったからな。
                ところで、ベルテレ君はいまはどうしてる?

(ヴァンデルスレプ) 彼は戦争中の43年にシュタインハイル社に移ったのですが、並行して当社〔ツァイス〕の仕事もしていました。一種のアドバイザーですかね。
              事務所が西独のミュンヘンでしたので、うまく東独への連行も免れ、戦後すぐにスイスのウィルド社に移りましたが、昨年までは当社との
              アドバイザー業務は続けてくれていました。

(キュッペンベンダー) そうか、相変わらずだな。

(ヴァンデルスレプ) 残念ながら、ゾナー用の設備と技術者の多くは東独でしたので、現在はソ連がジュピターと名を変えて生産しているようです。

(キュッペンベンダー) 私も当社が分割されたときの責任者だったから、いまでも彼らのことを忘れない日はない。早く統一されるとよいのだが。
               そうそう、ハンス〔サウエル〕君のことを忘れておった。すまん、すまん。

(サウエル) いえ、とても興味のある話ですので。

(キュッペンベンダー) 君が1953年にローライの2眼レフに提供した5枚構成の変形ダブルガウスレンズの名称をビオターでも別の名前でもなく、
               「プラナー」にすると主張したときには、ここにいるヴァンデルスレプ部長は涙を流さんばかりに喜んでおったぞ。

(サウエル) この戦前に始まったプロジェクトは、もともとルドルフ大先輩の強い思いであった対称型ダブルガウスレンズに、最新の非対称設計とコーティング技術を
         付加することによって、「プラナーを復活させよう」というヴァンデルスレプ部長のご指示で始めたものですから、そのアウトプットに
プラナーと名づけるのは
         
当然です。

(キュッペンベンダー) しかし、社内にはあのレンズ構成はもうプラナーではないという意見も多かったな。

(ヴァンデルスレプ) ビオターという名称は、前後のドタバタの中でなんとなく東独イエナのツァイスの商標みたいになってしまっていましたからね。
              会社が分割された時、サウエル君が作りかけていた5枚レンズの関連文書が1セットイエナに残ったままでしたし、東側に残された社員たちは
              西側の対応に対しかなり強く不満と対抗心を持っていましたので、東独でも5枚レンズが製造されましたが、その彼らでさえ、あの5枚レンズは
              
「ビオター」ではなく「ビオメタール」と名付けるほど、従来のダブルガウスとは異なったイメージの構成であったのは事実ですね。

(サウエル) しかし、私はなんの
迷いもなく最初から「プラナー」でしたよ。

(キュッペンベンダー) ほう、そうかね。

(サウエル) そもそも、1927年にメルテ先輩が作られたオピック型の変形ダブルガウスレンズを
「ビオター」と名付けたことがおかしいんです。

(ヴァンデルスレプ) まあまあ、少し抑えて。

(サウエル) いえ、あれは、
誰が見ても「プラナー」でした。内面反射やコマ収差の関係で初期プラナーの販売が不調であったことは事実です。
         しかし、レンズ設計者の立場からすれば、ペッツバール型で開発されていたレンズ名称をダブルガウスでも使用するというのはとても違和感があります。
         社内の噂であった、ルドルフ部長の退社の経緯が名称の断絶に繋がっていたとい うこともあながち根拠なしとも思えないです。

(キュッペンベンダー )サウエル君、その話はもうやめよう。

(サウエル ) 失礼しました。ただ、私は「プラナー」という名称は、ルドルフ部長が実際作られた、「前後対称」のレンズそのものではくて、ガウス博士から
         受け継がれてきた「効率的かつ論理的に色収差をなくし、像面を限りなく平坦にする」という
思想そのものだと思っています。

(ヴァンデルスレプ) まさに、その通りだ。

(サウエル )「プラナー」の名称を復活させた5枚構成のローライ用プラナーも、ヴァンデルスレプ部長からご指示があった対称型プラナーを再度実用化しようという
         プロジェクトを達成するために、「プラナー」の持つべき性能を、現在考えられるの最善の手法でまったく新規に考え直したらああなった、というだけですので、
         
間違いなく「プラナー」です。

(キュッペンベンダー) では、いま開発中のコンタレックス用のプラナーf1.5とf2.0も同じ発想なんだね。

(サウエル) 社長のおっしゃるとおりです。5枚構成はf2.8、いや最大f2.0まででしたら、驚くべき描写をしてくれます。
         ただ、f1.5となると周辺の収差補正のレベルが桁違いになります。ご存知のように球面収差は口径の3乗ですから。
         そのためには、やはり原点の前後対称の基本形に戻し、あとはコーティングを前提に一部レンズを分割するなどして完璧な収差補正を目指す
         必要がありました。先ほど申し上げたルドルフ部長から受け継がれた考え方にはまったく変わりはありません。

(キュッペンベンダー) ははは、見事なもんだ。エルンストもよい後継者をもったな。

(ヴァンデルスレプ) ありがとうございます。1935年に入社したサウエル君にはまず
始めにテッサーのf2.8からの口径拡大を指示しました。
              しかし、彼は今のガラス技術のままでは最小限の改善しかできないとすぐに判断しました。彼の高い能力を示すものだと思います。

(キュッペンベンダー) 確かにそうだな。

(ヴァンデルスレプ) そこでテッサー改善を一時凍結して、次にプラナーに開発されたばかりのコーティング技術を導入してフレアを除去し、再設計することができないか
             指示したわけです。たいしたやつです。

(サウエル)部長、言いすぎです。

(キュッペンベンダー) いや、彼のいうとおりだ。

(ヴァンデルスレプ) 私が妻がユダヤ人だった関係でナチ時代に数年間会社を離れざるを得なかったときも、当面の後任となったサウエル君は、2週間に1回は
              ランチを一緒にしてくれ、多くの議論を重ねることができました。また、その間も給料を払い続けていただいた社長には本当に感謝しております。

(キュッペンベンダー) 当然のことだよ。

(ヴァンデルスレプ) この機会ですから、ひとつ申し上げてよいですか?

(キュッペンベンダー )なんでも言いたまえ。

(ヴァンデルスレプ) 私が最も気がかりなのは、レンズよりむしろボディのほうなのですが。今後日本との競争には勝てるのでしょうか?
(キュッペンベンダー) 難しい質問だな。私が自分が生み出したコンタックスのレンジファインダー方式にこだわりすぎて、一眼レフの開発に致命的な遅れを
               もたらしたのではないかという社内外の批判はよく知っておる。、、、、、、、。ボディの競争には勝てんかもしれんな。

(ヴァンデルスレプ) やはり、そう思われますか。

(キュッペンベンダー) ただ、忘れてもらっては困る。われわれにはアッベさんから受け継いでいるツァイスの哲学がある。
               世の中が日本製のカメラのほうを認めるのであればそれは仕方がない。しかし、われわれには他にもツァイス精神で社会に貢献し続ける分野は
               無限にあるよ。心配しないで引退の日を迎えてくれ。
(ヴァンデルスレプ) そこは何の心配もしておりません。長い間ありがとうございました。


ナレーター:
 机の上のビオター4cmf1.4レンズは、この3人の話をじっと聞いていた。そして、未来のプラナーに向かって「がんばれ」と言わんがばかりに、
 そのガラスの輝きを一瞬大きく煌かせた。



(第四話 終わり)




麗子先生: みんな、ご苦労さま。なかなか良くできたわね。

ジロー ; ふう疲れた。

はるか : 物語は全部フィクションだけど、基本部分は事実に基づいているから、演じているうちに本当にこうだったのではないか、と思い始めたわ。

ジロー : まさにそんな感じだった。

麗子先生: おそらくみんながレンズのことをよく理解した上で、演技が自信にあふれているからだと思うわ。 さあ、今日は帰って、明日の本番に備えましょうね。


以  上