Carl Zeiss Planar 60mm f3.6
 

Lens Data

Lens Unit

Lens Photo

発売:1900年頃年
構成:4群6枚
設計者:Paul Rudolph


今回のレンズは初期プラナーの60mm f3.6。当時の湿板・乾板のフォーマットからは考えられない小型のプラナーです。しかも初めて見る、英国の老舗Ross社製の一本。プラナーレンズは大まかに、一般撮影用のf3.6と、接写など特殊撮影用のf4.5に分類されますが、反射面の多いダブルガウス型のf3.6はフレアが目立ったことからあまり製造されず、特に短い焦点距離のレンズは非常に珍しいものです。

以下に簡単にその歴史を述べます。

1817 年、ドイツの数学者、天文学者、物理学者であるカール・フリードリッヒ・ガウス(1777-1855) は、天体望遠鏡の対物レンズとして当時主流であった「フラウンホーファー型」や「リトロー型」レンズでは収差補正が不十分と考え、同じ凸凹2 枚構成ながら、自由度が高く、曲率も高いレンズ構成を考案した。これがガウス型対物レンズである。
ガウス対物レンズは、色収差、球面収差、およびコマに対して十分に補正されていたが、非点収差と歪曲収差については補正できず、レンズの曲率が高いこともあってf14-f15 以上の明るさは困難であった。そして、なによりも強い曲率の薄いレンズの製造と芯出しの困難さから実用化はされずに終わった。

それからほぼ半世紀以上たって、米マサチューセッツ州の望遠鏡製作者であった、アルバン・グラハム・クラーク(1832-1897)が、ガウスの望遠鏡対物レンズを前後対称に配置することによって、像面の平坦性や諸収差が改善されることに着目。さらに2 つのガウスレンズの前後対称配置によって、より硬度の高いクラウンガラス(凸レンズ)が前後の露出部分に位置するため、使用による傷や劣化も防止できることから、1888 年にf8 の写真用レンズとして特許を取得した。これが「ダブルガウス」の始祖とされる「アルバン・クラークのレンズ」である。 
アルバン・クラークのレンズは米ボシュロム社から発売された。しかし、反射面が多く、それほど明るくないレンズであったこと、そしてボシュロム社自体が現在イメージする巨大企業とは異なり、1880 年代に入ってやっとメガネ工場からカメラ用レンズに進出したばかりで、巨大市場のヨーロッパではあまり知られていなかったことなどから、あまり売れなかったようだ。その証拠に現在中古市場でアルバン・クラークのレンズを見つけることは大変に困難である。 

パウル・ルドルフ(1858-1935)。レンズ界の最大の巨人である彼の発明は、アナスティグマート、ウナー、プラナー、テッサー、プラズマートなど枚挙に暇がない。 
彼は1890 年に非対称型で「ザイデルの5 収差」の補正を可能とした「アナスティグマート」レンズを開発したが、わずか3年後の1893 年、テイラー・ホブソン社のハロルド・デニス・テイラー(1862-1943) が、「トリプレット」というわずか3 枚のガラスで、しかも貼り合せのない構成でアナスティグマートとなるレンズを開発する。
この非常に安価で優秀な非対称型レンズは、基本設計でf4 を実現しており、まさにルドルフ博士のお株を奪うようなタイミングと発想で世に表れたのであった。

このトリプレットの開発がどのような影響をルドルフ博士に与えたのかどうかはわからない。しかし、彼はいち早く、全群分離型のミニマムレンズであるトリレットの可能性と、非対称型ならではの強烈な収差補正からくる限界、の双方に気づいたのではないだろうか。 彼はそれまでの貼り合せ面の収差補正機能を重視した設計から、分離型の設計自由度、対称型の収差補正機能を活かす方向に舵をきった。そしてトリプレットから3 年後、彼は「完全対称分離型」のアナスティグマートレンズである「プラナー」を世に送り出したのである。 
もちろん、ルドルフ博士は巨人であるからして、八面六臂、どの考え方も完全に切り捨てるなんてことはしない。プラナーがひと段落した後の1902 年には、まるでトリプレットを改良したかのような(ツァイス社はまったく別の発想と断言しているが、、)非対称レンズの金字塔ともなった「テッサー」を発明することは、衆人の認知する通りである。 

カール・ツァイス社がシリーズIa を付して強力に売り出したプラナーであったが、結果として不振であった。発売から約10年、1907-8 年頃になるととカタログからも順次姿を消して行くことになる。


 Photos with Planar 60mm f3.6
 
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2025
Chuukagai and others
(中華街その他)
かなり久しぶりに訪れた横浜中華街は、想像以上にポップに、そしてきらびやかになっていた。メインの通りはかつてから賑やかなライトが溢れていたが、今では、かつてちょっと場末感があった路地にまでキラキラしたライトが輝いている。
外国人観光客や若いカップりにはきっとこれがよいのだろう。
初期プラナーの描写は思ったよりライトの滲みも少なく、すっきりと描写していた。もしかすると色彩に眼を奪われているのかもしれない。

2025
Kinshi-cho
(錦糸町)
1枚目のトンネルの画像(絞り開放)を観察すると、後からの光線によって通行する人物の輪郭にハロのような滲みが乗っているのが分かる。こうした画像の鮮鋭弩を下げてしまう特性が消費に結びつかなかった原因なのだろうか。
 
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